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心が折れそうな人へ送る、安室奈美恵さんの「告白」 -引退までの25年-

心が折れそうな人へ送る、安室奈美恵さんの「告白」 -引退までの25年-

こんにちは、ふぅです。

昨日の夜中にNHKで、安室奈美恵さんの特集番組「告白」の再放送を見たのですが、第一線で活躍してきたアーティストの言葉は、苦しいことがあった時に自分自身に言い聞かせたくなるようなものでした。

この番組では、安室奈美恵さんが、ご自身の言葉でこれまでの活躍を振り返っており、彼女が25年間の歌手人生で味わってきた喜び、苦難などがよく伝わってきました。

今日は、安室奈美恵さんが「告白」の中で語った思いを、25年の軌跡とともにまとめていきます。

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デビューしてすぐはヒットせず、社長に「辞めたい」と言っていた。

安室奈美恵さんは1993年に、スーパーモンキーズとしてデビューします。

POP JAMの司会アシスタントも務め、
「いつか私たちもこうして『ワー』とか『キャー』とか言われたいね!」
なんて語っていたそう。

当時15歳の安室さんがそうやって言っていたなんて、かわいらしいですね。

しかし、2,3作目になってもヒットは出ず、センターだった安室さんは、
「自分がセンターだからヒットが出ないんだ」
と思い、社長に「辞めたい」と申し出たそうです。

Try meでブレイク、小室プロデュースが始まる

そんな安室さんでしたが、5作目の「Try me」でついに70万枚のヒットを記録します。

毎週ランキング番組をテレビの前で見ては、
「今週も上がってたね~」
「えーっ、嘘でしょ~!?」
なんて語っていたそうです。

そして17歳の頃、Body Feel Exitで小室哲哉さんに出会い、安室奈美恵さんの作詞、作曲、プロデュースは彼が担当しました。

小室哲哉さんがプロデュースした何人ものアーティストが大ヒットを飛ばしていたので、
「自分が売れなかったらどうしよう」
と思ったそう。
「小室さんプロデュースの時代はプレッシャーの連続だった」とも語っていました。

その後、小室さん作曲の「Sweet 19 Blues」は336万枚のヒットを記録します。

この頃の安室さんは人気絶頂期で、彼女のファッションを真似る「アムラー」が社会現象になりました。

ちなみにこの現象については、
「自分のことじゃない」
「名前だけが一人歩きして不思議」
と語っていました。

結婚、そして妊娠

人気絶頂だった安室奈美恵さんですが、20歳の秋に結婚、妊娠をし、一時休業します。

人気絶頂期にあるアーティストが結婚・休業することはそれまでの芸能界では前例がなかったそうですが、当の本人は、大きい決断をした感覚はなかったそう。

「好きな人がいて、子供を授かった嬉しさだけだった」と話していました。

翌年1998年、安室さんはママになって紅白復帰します。

「温かく迎えてもらえなかったらどうしよう?」というプレッシャーがあったそうですが、会場の空気も柔らかくて、「戻ってきてもいいんだ」と思ったそうです。

私は知らなかったのですが、ニュースでよく流れる、泣いて歌えなくなるシーンはこの、紅白で復帰した時のものでした。

安室さんは、復帰の時に温かく迎えてもらえるとは思っていなかったらしく、
「普通に帰ってきたんだな、この子」という感じかと思ってたそうです。

トップアーティストでもそのような不安があったなんて、ちょっと意外ですよね?

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小室プロデュース終了、人気収束

しかし、安室さんが23歳の時に小室哲哉さんの全てのプロデュースが終了します。

すると、彼女が所属しているレコード会社からセルフプロデュースを勧められます。

衣装、ヘアメイク、ジャケ写、プロモーション、コンサート演出…、
今までは小室哲哉さんが決めていましたが、これからは全て自分で決めなければなりません。「えっ、全部自分でやるの?」と戸惑ったそうですね。

ですが彼女は戸惑いながらも手探りで答えを探そうとします。

安室奈美恵さんはこの時のことを、
「正解もなければ間違いもないからファンの皆さんの反応を大事にした。コンサートで反応がイマイチだったりすると、『こういう曲は望んでないのか』と分かったりした」
と語っています。

しかし、21世紀に入ると爆発的だった人気は収束。再びヒットを生み出さねばという焦りにかられます。

「自分でプロデュース始めてから、『これでいいのかな?』というのを何年も繰り返して歌手の安室奈美恵が分からなくなる時期もあった」

「脱出法は教えてもらえず、相談もできず、『何がダメだったんだろう?』と落ち込むばかり。考えつくことはやってみたけどしっくりはまるものがわからなかった」とのこと。

ヒットが出ない時期は相当悩んだようですね。一人で悩み続けるのはさぞ辛かっただろうと思います。

楽しむことを思い出した時、扉は勝手に開いた

ここで安室奈美恵さんは思いきった提案をします。
「安室奈美恵」の名前は出さず、スイートシークというプロジェクト名で活動を始めたのです。

このプロジェクトで数々のアーティストとコラボしたことで、歌手活動を楽しむことの大事さに気づきます。

「あまりにもこうしなきゃいけないというのを考えすぎ、楽しむということをだんだん忘れていた。もっと自分が好きなことは好きだと胸張って楽しまないといいものできないと思った。」

「『今の自分が楽しんでいいと思えることを胸張ってやればいい』、そう思えた時に迷いやプレッシャーが消え、この曲をこう表現してこういう衣装で、こういうダンスでというのがスパスパきまった」

と気持ちの変化が語られていました。

ここで面白かったのは、安室さんが、

「開けに行ったドアはことごとく外れだった。楽しむことを思い出した時にドアが目の前に現れ、それをスッと鍵なしで開けれた感じ」
と語っていたことです。

人生の壁を越えられるのは、自分自身が大きく変われた時なのかなという気がしました。
今までの自分にしがみついていたら道が開けることはないのかもしれませんね。

夢を叶えるまでは。ファンへの想い

20代後半になると、「引退」の言葉が頭にちらつきます。

しかし、デビュー当時の
「引退する時は大きなコンサート会場でライブがしたい」
という夢が、彼女を踏みとどまらせます。

そして35歳で、ついに東京ドームでコンサートをするという夢を叶えます。

この年はちょうどデビュー20周年であり、本当はここで引退する予定だったそうですが、事情により引退は叶いませんでした。

20周年でやり尽くしたのに引退できず、燃え尽きていたそうですが、
「こうなったらファンの皆さんが悲しむ」
と思い、今まで以上にワクワクドキドキすることをしようと決めます。

その後は毎年アルバムをリリースし、コンサート活動にもさらに注力し、40都市100公演のツアーを完走します。

このツアーは、「辛い時や傷ついた時に支えてくれたくれたファンの皆さんに直接お礼がしたい」と企画されたそう。

そして40歳になり、引退を発表します。

「引退する時はいつものように明るく2時間を楽しみきる、笑って終われるコンサートにしたい」とのこと。

2018年度は5大ドーム15公演、アジア5公演で70万人を動員する予定だそうです。

まとめ

「苦しいことがあっても前に進み続け、常にファンの方のことを想う」

安室奈美恵さんが第一線で活躍し続けられた理由はこれだったのかと思いました。

これから大きな壁にぶつかった時は、彼女の言葉を思い出し、乗り越えるための原動力にしたいです。

2018 1/31追記:
安室奈美恵さんのドキュメンタリーがHuluで配信中のようです。
2週間は無料視聴できるので、興味のある方は以下のリンクからどうぞm(__)m

安室奈美恵さんのドキュメンタリーが見られるのはHuluだけなので、今すぐ登録してチェックしよう!
…と言いたいところですが、毎月1本ずつ更新されるので、9月に登録してまとめて見るのが賢いかもしれませんね(^^;

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